「和歌ってわかんない 4」 〈掛詞・縁語〉
いよいよ待ちに待った「掛詞」です。先に述べたとおり、掛詞とはすなわちオヤジギャグ、オシャレな言い方をすれば「double meaning」なのですが、何でもかんでもいい加減に掛けているわけではありません。掛けるにはそれなりの根拠があります。受験生に掛詞の説明をさせるとケッサクなものが飛び出します。季節は冬、男女が別れる文脈を受けて「かれ」=「枯れ」「彼」の掛詞、など…。カレシと別れてしまいそうな日常がうかがわれて悪くはないのですが、正解は「枯れ」「離れ」の掛詞です。「かる」の掛詞については後述します。では、掛詞のテクニックを見ていきましょう。
1・二重の文節関係によって掛ける。
「和歌ってわかんない 1」ですでにのべましたね。
2・序詞、枕詞によって掛ける。
・風吹けば沖つ白波たつた山夜半(よは)にや君がひとり越ゆらむ
口語訳
…風が吹くと沖の白波は立つ、その「たつ」ではないけれど、竜田山を夜中にあなたが一人で越えているのだろうか。
解説
…夫が夜中に一人で山越えをしていることを気づかった妻の歌(『伊勢物語』『大和物語』)、感動、詠嘆の中心は「沖の白波」ではありません。「風吹けば沖つ白波」は地名の「竜田山」から掛詞「立つ」を導き出す働きをしている序詞です(「和歌ってわかんない 3」で詳述)。
・梓弓(あづさゆみ)春立ちしより年月の射るがごとくもおもほゆるかな
口語訳
…「弓を張る」という言葉どおり、春になるやいなや年月が矢を射るようにすばやくすぎていくように思われることだ。
解説
…「梓弓」は「押す・引く・張る・射る」を導く枕詞。よって「春」に「張る」が掛けられています。『古今集』でさかんに用いられたパターン。
3・縁語によって掛ける。
解説
…「縁語」とは、簡単にいうと「縁続きの言葉」。「○○つながり」と、連想上何かしら結びつきのある語。二語に限らず、三、四、五語と縁語になる場合もあり。縁語になっている時は、縁語のいずれかが掛詞になっている場合が多い。
さて、上記の例を見ましょう。「弓」「張る」「射る」が「弓つながり」の縁語になっていて、「春/張る」が掛詞になっていますね。つまり「梓弓」の枕詞で掛ける、「弓つながり」の縁語で掛ける、と二重に掛けテクニックをつかっています。ちなみに、掛けるテクニックは一つだけとは限りません。二重、三重に掛けテクニックを用いたりもします。「古今集」など、和歌の修辞が使われてナンボの時代ですから、平安時代の和歌を解釈する上では、やはり和歌の修辞の知識は欠かせないのです。
さらにちなみに、受験生が悩むところなので言っておきましょう。「縁語になっているからどれか掛けている」という判断は正しいですが、「掛詞になっているから縁語」とは限らないので注意しましょう。掛けるテクニックは今見ているとおり、いくつもありますからね。
4・文脈の要請によって掛ける。
いきなり和歌を見る前に、有名な説話を引用してみましょう。
今となっては昔のこと、紀伊の国に正直者の木こりがいたそうです。日が昇ると山に入り木を伐(き)っては薪(たきぎ)を売り歩き生計をたてておりました。家は貧しいけれども、老いた母を大切に世話して暮らしておりました。その山道の途中に美しい泉がありました。木こりは薪を背負って山から下りて来ると、いつもその泉で喉をうるおすのでした。
ある日、木こりはいつものように泉に口をつけて水を飲もうとしました。ところがどうしたことでしょう、身を乗り出した時に大切な斧(おの)を落としてしまいました。底も見えない深い泉です。木こりは明日からどのように暮らしたらよいのか、途方にくれて嘆いておりました。
するとどうでしょう、泉の上に美しい女神が金(こがね)の斧と銀(しろかね)の斧と鉄(くろがね)の斧を抱えて突然現れました。女神が言うことには、
「お前が落としたのは金の斧、銀の斧、それとも古びた鉄の斧か」
正直者の木こりのことです、女神は当然「鉄の斧」と答えるにちがいないと思っておりました。そうしたらその正直に報いて三本すべて与えるつもりでおりました。ところがどうしたことでしょう、初めて目にした黄金に目がくらんだのでしょうか、女神のあまりの美しさにたまげたのでしょうか、木こりは「金の斧」と答えてしまいました。女神は思わず声をもらしました。
「オーノー」