「和歌ってわかんない 8」 〈文学史〉
センター試験直前、「和歌ってわかんない」の仕上げに、和歌にまつわる文学史、「八代集」をやっておきましょう。
「勅(ちょく)」(帝の命令)によって撰集(せんしゅう=選んで編集)された和歌集を「勅撰(ちょくせん)和歌集」といいます。「古今集」から「新古今集」まで(ちょうど三百年はなれている)の八つの勅撰集を「八代集」といいます。「八代集」はとにかく頻出、その成立順序が問われるので、ここでおさえておきましょう。ちなみに『万葉集』は最古の歌集ですが、勅撰集ではないので注意しましょう。
「八代集」
〈平安〉
・古今(こきん)和歌集(九〇五)
・後撰(ごせん)和歌集(九五一)
・拾遺(しゅうい)和歌集(一〇〇五)
・後拾遺(ごしゅうい)和歌集(一〇八六)
・金葉(きんよう)和歌集(一一二七)
・詞花(しか)和歌集(一一五一)
・千載(せんざい)和歌集(一一八七)
〈鎌倉〉
・新古今(しんこきん)和歌集(一二〇五)
ゴロで覚える「八代集」
古今 ゴシュゴシュ金曜しか洗剤使えないよ 新古今。
とおぼえましょう。ゴ(後撰)シュ(拾遺)ゴシュ(後拾遺)金曜(金葉)しか(詞花)洗剤(千載)です。『新古今集』のみが鎌倉時代であることに注意しましょう。
『古今和歌集』
【勅を発した帝】
・ 醍醐(だいご)天皇(「延喜(えんぎ)の帝」などと呼ばれる。)
【撰者(せんじゃ=編集者)】
・紀友則(きのとものり)
・紀貫之(きのつらゆき)(「土佐日記」作者、「古今集」の序文、「仮名序(かなじょ)」を書いている)
・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
・壬生忠岑(みぶのただみね)
【主な歌人】 〈六歌仙(ろっかせん)=『古今集』を代表する六人の歌人〉
・在原業平(ありわらのなりひら)
・小野小町(おののこまち)
・大伴黒主(おおとものくろぬし)
・喜撰法師(きせんほうし)
・僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
・文屋康秀(ふんやのやすひで)
【ポイント】
一番きかれる文学史事項。勅を発した醍醐天皇が問われます。
撰者四人、六歌仙六人、どちらもきかれますが、選択肢は常にこれらをゴッチャにして出してくるので、撰者と六歌仙はきっちり覚え分けておきましょう。
とにかくきかれるのが紀貫之の「仮名序」です。和歌は人を幸せにする力がある、という文脈には何度かふれてきましたね。
「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰(なぐさ)むるは歌なり」
ホラ、古今の「仮名序」は、当時の和歌に対する価値観を要約してくれています。説話、歌論など、和歌のすばらしさを言うときに「仮名序」が引用され、設問になる、といったパターンです。とにかく一番出る!
『後撰和歌集』
【撰者】
・「梨壷(なしつぼ)の五人」と呼ばれた撰者達の中に清少納言の父、清原元輔(もとすけ)がいる。
【ポイント】
「清少納言→枕草子」をつっこんでもしょうがない、清少納言をつっこむなら、父・元輔が問われます。で、『後撰集』もつっこまれるというわけ。
『千載和歌集』
【勅を発した帝】
・後白河(ごしらかわ)院(「今様(いまよう)」〈七五調四句形式の歌謡〉を主に集めた『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』編集)
【撰者】
・ 藤原俊成(としなり)(「五条三位(ごじょうのさんみ)」と呼ばれた。歌論に『古来風体抄(こらいふうていしょう)』がある)
【ポイント】
「このような形式の歌を何というか→今様(歌)」というのがきかれます。七五調四句って、ほとんどの校歌がそうでしょ?なじみ深いところでは阪神タイガースの「六甲おろし」、もとをたどれば「今様」なんですね。『梁塵秘抄』は意外によく出題されているので注意が必要です。
五条三位は和歌の神様、古文の中でよく引き合いに出される人物です。で、『千載集』がつっこまれます。
『新古今和歌集』
【勅を発した帝】
・ 後鳥羽(ごとば)院
【撰者】
・藤原定家(さだいえ)(藤原俊成の息子。歌論に『近代秀歌(きんだいしゅうか)』『毎月抄(まいげつしょう)』がある)
【主な歌人】
・ 西行(さいぎょう)(『新古今和歌集』の中で歌数が一番多い。家集(個人の歌集)に『山家(さんか)集』がある。
【ポイント】
とにかく西行がきかれます。全文学史の中で一番きかれるのではないでしょうか。西行は日本の詩歌におけるアイドルなんですね。
ちなみに、定家の歌論もよく問われます。定家の歌論は「きんた」「ま」、とおさえるとよいでしょう。でも、決して声には出さないで下さい。