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現代文・小論文のネタ 其の六
〈情報〉

インターネットが普及し、ヤフーやグーグルなどのメディアが絶大な権力を持っている今日の情報化社会において、逆説的に「人と人とのつながり」の重要性が最新の理論から浮かび上がってくるというのは、なんとも刺激的な研究です。

 


『人と人のつながり見直せ』 

   近所と遠距離両立



一橋大学教授 

西口 敏宏(にしぐち としひろ)先生


ネットワークの構造重要

 

個人・組織存続の新陳代謝できず

 職場や家庭で人がふと陥る場違いな感じ、業績不振の企業、没落する地域経済などは、単純化すれば、人と人のつながり方のまずさに原因があることが多い。つながり方のトポロジー(構造)が悪化しているのだ。知らず知らずのうち、日常の決まりきった接触法や、身のまわりの最適化だけにとらわれ、個人や組織として存続するのに不可欠な新陳代謝ができなくなっている。しかもこうした変化に気がつかない。

 社会システムの新陳代謝を促す原動力の一つは、個人を取り巻く「近く」のネットワークと、ふだん意識せず接触も少ない「遠い」ネットワークの間に、情報伝達経路のつなぎ直し(リワイヤリング)によって少数のバイパス(う回路)を設けることで、どっと流入する「新鮮な情報」にある。だが、遠くからの情報量が多すぎても、それを受け取る個人と近隣者との関係が疎遠すぎても、情報は生きず、どこかで途絶えてしまう。つまり、遠距離交際と近所づきあいの、絶妙なバランスが大切なのだ。

 個人や組織がいかに優れていても、情報へのアクセスと処理能力は限られている。世界一の富豪も、世界最大の企業も、利用できる資源には限界がある。何人(なんぴと)も、一切を知り、すべてを所有し、万物をコントロールすることはできない。

 

成功のカギは運の「構造化」

 他方、何の変哲もない個人、組織、地域が、顕著に繁栄する場合がある。特に恵まれた環境になく、幸運が続くわけでもなく、皆と同じく悩み、失敗し、挫折し、試行錯誤を繰り返しているはずなのに、なぜか困難を乗り越え、栄えてしまう。その秘密は何か。単なる偶然なのか。仮に偶然の助けがあったとしても、その背後に何か法則性のようなものがあるのか。たとえ法則性がわかっても、実際どの程度までコントロールできるのか。

 最新ネットワーク理論はこれらの問いに新たな展望を示す。結論を先取りすれば、人や組織を取り巻くネットワークのトポロジーが重要だということだ。しかもそれは可変的で、個人、組織、地域が、固有の認知限界と資源の制約を越えて反映する秘訣は、スモールワールド(小世界…近所づきあいと遠距離交際が相互にリンクしあっている状態 筆者注)・ネットワーク化にある。

 いわゆる運が良い人や、成功し続ける組織をよく調べると、「運が構造化している」ことが分かる。人や組織の運は、それを取り巻くネットワークのトポロジー、つまり、隣の友人や遠くの知人(ノード=結節点)と、ネットワークを通してどうつながっているかという、構造特性に依存する部分が大きい。

 大切なのは、個人が誰を直接知っているかより、その誰かがあなたの知らない誰を知っており、その人がさらに他の誰を知っているかという点だ。しかも五感でとらえられる範囲しか分からない人間固有の認知限界により、本人たちはそれに気がつかない。だからこれは運だと錯覚する。

 しかし、実際に意識しなくても、成功する人や組織は、遠距離交際と近所づきあいのバランスを絶妙に保ちながら活動している場合が多い。濃密な近所づきあいを維持しながら、他方、触手をはるか遠くへ伸ばし、情報伝達経路をつなぎ直して、通常なら決して結びつかない遠距離のノードとも、短い経路でつながっている。そして、そこで得られた冗長性のない情報を巧みに利用する。これこそが、近年グラフ理論に基づくシミュレーションで解析された、スモールワールド・ネットワークの魅惑的なメリットである。つまり、遠距離交際と近所づきあいの良いとこ取りなのだ。

(以下省略) … 一部ルビ等、筆者補う。

『日本経済新聞』 2007・10.18(木) 「経済教室」

 

わたくし、このブログの『しり上がり通信』で、お神輿を担ぎながらよそ様の共同体に足を踏み入れていく「現場」をリポートしてきました。最新の情報理論は、私にはわかりません、が、人様とつながっていくことの重要性は、まさしく「身をもって」学んできました。西口先生のご意見がどうしようもなく「腑に落ちる」のです。

で、もし、わたくしたちが四次元的な思考法をするなら、時間を、紙を折るようにペタンと折りたたむなら、最新の情報理論と、たとえば北方モンゴロイド(北米インディアンやオーストラリアのアボリジニ)たちが伝えた「グレート・スピリッツ(精霊)」とが、軌を一(きをいつ)にして重なっていきます。「人様とのつながりを大切にしろ」「自然や精霊とのつながりを大切にしろ」、それが先生のおっしゃる「スモールワールド・ネットワーク」なのではないでしょうか?

「袖振り合うも他生(たしょう)の縁」

仏教では、それを「縁」と呼んできました。

「海―陸」「山―里」「空―地」を媒介し、「人―自然」を媒介し、「人―人」を媒介してゆく、それをわれわれ日本人は「神」として表象してきました。あちらこちらで御神輿を担がせていただいて気がついたのですが、お神輿って、そばでよく見ると、「空―大地―海」が彫刻され、それらをつないでいる柱に竜が彫られていたりします。てっぺんには異空間から豊穣をもたらす鳳凰が飛んでいます。ムムム…なんと優れた「媒介者」の表象ではありませんか。

くしくも先生がおっしゃっている、「五感でとらえられる範囲しか分からない人間固有の認知限界」を越えていく、その「媒介していくモノ」を「神」として表象してきたのではないでしょうか。数年に一度、「情報伝達経路のつなぎ直し(リワイヤリング)」するために神が訪れる、それが「祭り」の本来の意義なのでした。




佃島 住吉神社大祭 町神輿

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【2007/10/19 21:25】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(0) | コメント(0)
現代文・小論文のネタ 其の五
〈地球温暖化〉

二〇〇〇年アメリカ大統領選挙、共和党ジョージ・ブッシュと民主党アル・ゴアは大接戦を演じ、「不透明な真実」のままブッシュが当選しました。で、その後のドラマが始まります。

映画『華氏911』と『不都合な真実』と、両者はスクリーンでも主役を演じることになります。アメリカという国は政治であれ、文化であれ、「光と影」のコントラストが非常に明確なように思われるのですが、その点でも好対照をなす二人であったわけです。

 

温暖化対策、平和に直結


ゴア氏らにノーベル賞

地球温暖化(気候変動)は世界が緊急に対処すべき問題だと科学的データに基づき主張し続けてきた国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」と、アル・ゴア前副大統領がノーベル平和賞に選ばれたことは決して意外ではない。

 地球温暖化が世界平和を脅かすことは国際社会では共通認識となっている。温暖化に伴う異常気象や海面上昇は食糧危機を増幅し、国土を奪うことで大量の「環境難民」を生み出す恐れがあるからだ。

 二〇〇八年からはいよいよ、京都議定書に基づいて日本など先進国が公約した温暖化ガスの排出削減目標を達成しなければならない「約束期間」に入る。

 今年四月には、国連安全保障理事会が温暖化問題を初めて討議テーマにとり上げ、当時の英外相は「気候安全保障」という言葉を使い、安全保障の観点から各国の行動を促した。先月には国連の潘基文(パンギムン)事務総長の呼びかけで、温暖化問題を首脳レベルで話し合う会合も開かれたばかりだ。この時期の平和賞決定は強いメッセージ性を持つ。

 IPCCは科学者と行政官が同じテーブルについて共通認識を探る先例のない組織として発足。これまで発表した報告書は温暖化をめぐる国際交渉の前提となる科学データを提供し京都議定書を生む土台ともなった。

 一九九七年、京都議定書の採択に向けた交渉が暗礁に乗り上げた時、当時米副大統領だったゴア氏が京都の会議に乗り込み合意に導いた。大統領選に敗れた後は温暖化問題の講演で世界を行脚(あんぎゃ)した。巨大なスクリーンとクレーンを使い、視覚的な効果を高めた講演は彼の話術も相まって共感を集め、米国の世論を動かしたとされる。

 「科学的に見れば誇張がある」と指摘する科学者がいるのも確かだ。しかし温暖化対策は多くの人々の生活スタイルに変更を求めることでもある。科学者が束になっても届かないほど広く「地球環境への危機感」を浸透させた役割は大きい。

 ハイブリッド車などの例をあげ、「環境改善が経済面の利益につながる時代」と説いたのも受け入れられやすかった。

 十二月にインドネシア・バリ島で「ポスト京都議定書」づくりの交渉がスタートする。京都議定書は米国の不参加などで温暖化を抑える実効性を欠く。「京都」が期限切れを迎える(二〇)一三年以降の国際枠組みは人類の存続をかけたものになると言っても大げさではないかもしれない。

 温暖化ガス削減は義務的か自主的か、削減を担う国・地域はどこかなど、各国の意見は依然として隔たりは大きい。だが温暖化が今すぐに対処すべき共通の課題であるという点で、米国のほか、中国やインドなどの途上国を含め世界のベクトルは一致してきている。

 今回の受賞は「ポスト京都」の合意に向け、国際社会に結束を促すものだ。

                   (編集委員 滝順一 氏)  … 一部ルビ等、筆者補う。 

   『日本経済新聞』 2007・10.13(土) 「総合」

 

科学は仮説をたてて、「実験」で証明することにより「正しさ」を確保します。ところが、地球に関しては「実験」が許されないところが、科学の弱いところです。一部の科学者が言う「地球温暖化と二酸化炭素の増加との因果関係は証明されたわけではない」という意見もありましょうが、仮に「証明」されたところで…、その時にはもう手遅れになっているわけです。

その点、トヨタ自動車のように、環境対策を中心にすえて飛躍的に業績を伸ばした企業があるというのは一筋の光明のように思えます。

二酸化炭素の削減は経済に悪影響を及ぼすとして京都議定書に加わらなかった米国と、まさしく京都から世界に問題を提起した日本。自動車産業において、前者の凋落(ちょうらく)ぶりと後者の躍進を見るにつけ、やっぱりアメリカ人はマイケル・ムーアの言うとおり、「アホでマヌケ」なのではないか…と、もちろんアメリカという国、わたくしは大好きですし、愛してもいます。決して蔑(さげす)もうなどとしているわけではありません。ただあまりに巨大な国家であるため、優れた人物もたくさんいる一方で、アホの数も多いのであろうと想像されるわけです。そのアホの一人が大統領になってしまったのがアメリカの悲劇だったと思うわけです。

人さまの国はどうでもよい、で、日本はどうなんでしょう?権力が声高に環境対策を叫ぶでもなく、コツコツ地道に「もの作り」をして、「人は語らず、モノをして語らしむ」なんてところが、いかにも日本の職人文化らしくて、「粋(いき)」じゃござんせんか?

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【2007/10/16 15:58】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(0) | コメント(5)
現代文・小論文のネタ 其の四
〈外国人問題〉

わたくしが心から敬愛してやまない研究者に赤坂憲雄(あかさかのりお)先生(東北工科芸術大学教授)、中沢新一(なかざわしんいち)先生(多摩美術大学教授)がおられます。お二方が今、模索なさっておられる研究に「環太平洋文化圏」「環日本海文化圏」というものがあります。

グーグルアースをお持ちの方はよくよく日本列島を見ていただきたいのですが、日本海って、湖みたいに見えませんか?カムチャッカ半島から千島列島、日本列島と朝鮮半島と、背骨のような「ナニカ」が貫いているのがわかるでしょうか?

その図を見て「朝鮮がなっちょらん」の「中国がなっちょらん」の「日本がなっちょらん」の言ってもしょうがないって気づかされないでしょか?

そもそも、こうして漢字を使わせていただいて、なおかつ、漢字をモディファイした「かな」を使って、中国や朝鮮半島をどうこう言っていること自体が、わたくしには滑稽に思えるのですが…。

また、「わび」「さび」の「しみじみとした情趣」の、五七五(七七)と、その「五」「七」の音数って、そもそも漢詩の…と言い出したらキリがなくなります。

皮肉なことに、「アメリカン・グローバリズム」の申し子みたいな「グーグルアース」は、「真のグローバリズム」の姿をあぶりだしてくれるのです。

 

伊藤真の中・高生のための憲法教室 (連載43)


「外国人の人権」

 九月一日は一九二三年に起きた関東大震災に因んで防災の日とされます。この震災は多くの被害をもたらしましたが、同時に数千人が「朝鮮人」というだけで虐殺されるきっかけとなりました。韓国併合(一九一〇年)以来、日本は朝鮮半島を占領し植民地としていましたが、多くの朝鮮人が生きるために日本に来ざるを得なくなり、労働力として酷使されていきました。

 そうした中で関東大震災に直面した人々は噂やデマに振り回され、「朝鮮人が暴徒化した」「井戸に毒を入れ、放火して回っている」という暴言を信じてしまい、一部の市民や自警団が、治安維持の名目で多くの朝鮮人を殺傷してしまったのです。私たちは天災だけでなくこの人災の被害も忘れてはなりません。

 朝鮮半島や台湾などの植民地に住んでいた人々は、大日本帝国の臣民つまり日本国民であるとされ、日本の国籍を持ち、日本国内では参政権(選挙権、被選挙権)も保障されていました。ただし、日本名や日本語の強要、天皇崇拝などの皇民化政策がとられていたため、民族の独自性や多様性は認められていませんでした。

 戦後、日本が台湾、朝鮮などの旧植民地に関する主権を放棄したことにより、旧植民地の人々は日本国籍を失い、外国人として生活することを余儀なくされます。これにより今まで同様日本国内で生活しているにもかかわらず、参政権や生存権などの社会権(具体的には国民年金や国民健康保険など)も保障されなくなります。

 このように戦前は、強制的に日本人とされ日本民族との同化を強要した上で参政権を認めていましたが、戦後は、強制的に日本国籍を奪い外国人として扱って参政権や社会権を認めません。日本での生活実態が何も変わらないにもかかわらず、国家の都合でこのように人権が認められたり奪われたりしているのです。これはおかしなことです。

 そもそも人権とは何でしょうか。人間である、ただそのことだけで認められる権利であったはずです。とするならば、国籍は無関係であるはずです。外国人であっても人権は当然に保障されているのです。

 ただ、その人権の性質から日本国民のみを対象としていると解されるものは例外的に保障されず、その典型例が参政権と社会権だといわれます。ですが、そうでしょうか。

 そもそも参政権は民主主義原理から保障される人権のはずです。そして民主主義とはその国で支配される者が支配する側に廻ることができる、つまり一国の政治のあり方はそれに関心を持たざるを得ないすべての人々の意思に基づいて決定されるべきだということを意味します。とするなら、日本で生活し、日本の権力の行使を受ける者であれば、その政治に関心を持たざるを得ず、たとえ外国人であっても生活の本拠が日本にあるのであれば、選挙権が保障されるべきことはむしろ当然の要請ということになります。

 この点、外国人に選挙権を認めることは国民主権に反すると言われることがありますが、そもそも国民主権というときの国民を日本国籍保持者に限定するべきではありません。むしろ民主主義原理からはそこに生活の本拠を有する市民を広く国民と考えるべきなのです。

 また、生存権や労働基本権のような社会権も同様に、この国で生活している市民である以上は、社会の構成員として当然に保障されるべきです。外国人だからといって、生活保護を受けられなかったり、適切な医療が受けられなかったりするべきではありませんし、低賃金労働力として酷使されても何も言えないというような不合理がまかり通ってよいわけがありません。

 そもそも国家が何のためにあるのか、国家や国籍にこだわる必要がどこまであるのか、人権を考えるときには、常にこうした原点に立ち戻って考える必要があります。

 日本で生活する外国人登録者数は二〇〇五年に二〇〇万人を突破してその後も増え続けています。他にも不法滞在の外国人も相当数いますから、日本で生活する人のうち一〇〇人中二人弱は外国人です。また、外国人との結婚も一七件に一件の割合に及びます。

 民族や文化、風習などの違いを認め、多様性を受け入れながらも、同じ人間としてお互いに尊重し合う、そうした成熟した人間同士の関係を、憲法は個人の尊重(一三条)として保障しています。今なお、外国人を排斥しようとする差別意識が一部に根強い日本だからこそ、八四年前の事件の教訓を大いに生かさなければならないと考えます。

                                         (いとう・まこと 伊藤塾塾長)

  雑誌『世界』 岩波書店 二〇〇七 十月号 


伊藤先生は、司法試験などの指導しておられる「伊藤塾」の塾長さん。「中高生」に向けて書いてくださっていますので、わたくしのようなドシロートが「屋上(おくじょう)、屋(おく)を架(か)す」の愚は避けましょう。前途有為な法律家を育てられるお立場として、ほんとうに頼もしいですね。

あえて、付記を書かせていただくならば、後日談。深川の方から隅田川を渡って逃げてきた「朝鮮人」をかくまった方たちがいます。魚河岸を支えてきた方たち、そう、佃の男衆だったのです。まちがっても、日本の歴史の教科書には載っていないでしょうが…。

そのような心優しき民もいらっしゃったことは、わたくしたち「日本人」の胸に服膺して余りあるように思います。まんざら、「日本人」だって捨てたもんじゃないでしょ?

ちなみに、その時かくまった佃の「宮元さん」といわれる島民の末裔の方にお誘いいただいて、わたくし、明日は佃島で、隅田川の川風に吹かれながらバーベキューをいただいてまいります。誇らしか~っ!

 
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【2007/10/06 22:55】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(1) | コメント(2)
現代文・小論文のネタ 其の三
〈いじめ〉

「いじめはいけない!」

と、学校の先生が言うのでしょうね。わたくし、黒板を背負っていた時代によく生徒を前にして、

「いじめって正しいよね」

なんてアオリを入れたものですが、もう、猛反発の総スカン、

「先生って、ヒドイ…」

なんて、まるでヒトデナシを見るような視線が突き刺さってきました。

「いじめはいけない」という無反省な大前提が、すでに集団による暴力をはらんでいるのであるよ、と、わたくしなどには思えるのですが…。

先日、レッドソックスに入った松坂が着ぐるみを着せられていました。そういえば、ヤンキースに入ったばっかりの松井も変なカッコさせられていましたっけ。他人のロッカーの荷物を勝手に隠して、コスプレ衣裳だけつるしておくのって、いじめでは…。

まあ、わたくしも共同体研究の一環として、この夏、あちらこちらのお神輿を担がせていただきました。大リーグしかり、日本の下町しかり、異なる共同体の門をくぐろうとすれば、儀礼としてのいじめがあるようです。

「オマエはウチの共同体倫理にしたがうか?」

「へえ、したがいますからお仲間に入れてくだせエ」

のようなことを、「からかい」や「排除」によって確認しているのだろうと思います。

そこでつまらぬ自我を出してムキになったりすると、

「オレ様はオマエらの倫理になんかしたがわねえゼ!」

ということを意味してしまう、で、徹底的に排除されることになります。

「いじめ」は本来、「個人よりも共同体の優位」を確認するために、コミュニケーションの一手段としてあったのではないでしょうか。その一手段でしかなかったものが、「コミュニケーション」という本来の機能を忘れて一人歩きして肥大化したのが今日、問題になっている「いじめ」の本質であるように思われます。

猫や犬を見てみればわかると思いますが、噛みついたり、ケリを入れたりしてコミュニケーションをとろうとします。が、死ぬまではやらない。

わたくし、消防団に入って水出してみたり、睦(むつみ)に入ってお神輿担いだりしているのも、実は、「共同体って何だろう?」という素朴な疑問のためなのでした。

「いじめはいけない!」

というのは、正しくないだろうと、わたくしは思うのです。正しくは、

「死ぬまでいじめてはいけないし、死ぬまでいじめられてはいけない」

だと思うのです。「程度の問題」を「オールオアナッシングの極論」で片付けてしまうのはたやすいですが、「いじめ」がもっていたはずの本来の「コミュニケーション機能」まで捨て去るのはいかがなものでしょうか。「程度=良い加減」がわからなくなっている、ということで言えば、実は「いじめ問題」も「いじめ批判」もパラレルなのではないでしょうか。

問題の本質は、「コミュニケーションとしてのいじめ」を学ぶ場も機会も消失してしまっていることにあると思いますが、いかが?

で、「いじめ問題」に真っ向からとりく…まない。まさしく「良い加減」なブログを紹介させていただきます。


プロの方なので、面白いのはあたりまえなのですが、いじめに苦しんでいる人に向けて、やさしく真摯な態度で語ってくださっています。

ちなみに、もし、わたくしが死ぬほどのいじめにあったら、答えは「あの世ではない、この世のどこかにトンズラ」です。「この世のどこか」が「マンガ」だっていいですよね。

 
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【2007/10/05 21:04】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(0) | コメント(0)
現代文・小論文のネタ 其の二
〈地方格差〉

わたくし自身、地方出身の東京人であるため、地方格差の問題は切実なものがあります。誰よりも郷里を愛していながら、東京でメシを食わざるを得ない、そんな引き裂かれた望郷に一筋の光明?「道州制」の意義についての論考。

 

京都大学教授 中西 寛(なかにし ひろし)先生


 「道州制の実現本気で考えよ」

 

首都機能移転含め地方分権

 内政面では、旧来型でない、斬新な地方重視策の提示である。地方の疲弊は著しいし、住民が古き良き時代を懐かしむ気持ちも理解できる。しかし高齢化、グローバル化を前提とした時に、都市から田舎への所得移転といった旧来の自民党の手法はもはや根本的対策になり得ない。新政権は地方の人々にそのことへの理解を求めた上で、新たな施策、たとえば道州制の実現を本気で考えるべきである。

 道州制構想は地方からは「中央による切り捨て」として評判は必ずしもよくない。確かに現在の都道府県を集約することにばかり集中する従来の議論の仕方では、こうした批判が起きてくるのもやむを得ない。むしろ道州制論の本筋は中央政府の変革にある。多くの地方から遠く離れた東京に権限が集中していることに問題があるので、道州制によって首都機能を分散することを考えればよい。ネットワーク化、分散化の今日では、国内的には首都が1カ所に集約されている必然性はなくなった。道州ごとに中央省庁を振り分け、都道府県自治体とも統合して道州府を設け、各道州府を基幹ネットで結べば、バーチャルな首都ができあがる。当然、国家公務員と都道府県レベルの地方公務員の区分もなくし、人数も減らせるだろう。

 夢のような話に聞こえるかもしれないが、国家公務員の天下り規制についての細々した議論をするより余程生産的だし、安全保障面でも首都機能が1カ所に集中しない方が合理的である。福田政権は「背水の陣」内閣だそうだが、だからこそ大胆な構想を提示する好機である。

『産経新聞』2007/10/03(月) 「正論」(シリーズ 新内閣へ)

 

論旨はいたって明確、「東京一極集中の限界と道州制のメリット」です。

安倍元首相の「戦後レジームからの脱却」って、結局、意味がわからずじまいでしたね。おそらく「アンシャン レジーム(旧体制)」を模してのことだったのでしょうが。ということは「絶対王政に対する市民革命」や「徳川幕藩体制に対する明治維新」のようなことをなしとげようとなさったのでしょう。

アメリカから押し付けられた憲法から脱却して、日本独自の憲法制定、それによって日本ははじめて真の独立国家たりうる…で、「美しい日本」の実現、と、まあ、こんな図式だったのではないでしょうか。そのこと自体に、わたくしは異議をとなえるつもりはありませんが、安倍さん、重要な点を見落してはいなかったでしょうか。歴史的にみて、「革命」と呼ばれるものは、(軍事革命はともかく)常に民衆の立場から起こってきたものではなかったでしょうか。上から押し付けられた「革命」って存在しないのでは?と、素朴な疑問はわいてくるわけです。

ところで、安倍元首相において、日本という「国家」は自明の前提とされているようですが、本当にそうでしょうか?

わたくし自身の「国家観」を述べさせていただくと、日本において「近代国民国家としての日本」というのが「クニ」以上に意識されたことはなかった、というのが結論です。それは、無理やり「意識した」時代もありました。が、そのために日本はもちろん、アジア諸国も巻き込んで大変なことになってしまいました。

安倍元首相が「戦後レジーム(体制)」という時、では「戦中レジーム」や「戦前レジーム」は意識されていたのでしょうか?私見によるなら、近代、前近代を通じて通奏低音のように「変わらぬ部分」があるように思えてならないのです。「NHK のど自慢」「紅白歌合戦」「高校野球の甲子園大会」と、これらに共通しているのは、明らかに「クニ意識」です。

平安古文を読めばわかると思いますが、「クニ」はだいたい今の都道府県レベルにあたります。古来、日本にあるのは「クニ」、その「クニ」がモザイク状になって構成されて日本列島があっただけではなかったのか?それらを束ねようとする権力の闘争史はあったでしょうが、それらはひとくくりに「お上」の話であって、誰が天下をとろうが知ったこっちゃない。

してみると、「道州制」って、何のことはない、古来日本にあった地域共同体を新たなシステムで組み立てなおす、ってことではないのでしょうか。であるならば、それはわたしたちにとって、とても馴染みやすいものであるのかもしれませんね。

 
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【2007/10/03 17:02】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(0) | コメント(0)
『大学受験生 体調管理のツボ』 其の三
夏のカラダは冬作る、冬のカラダは夏作る!

プロ野球選手の自主トレなどをみているとよくわかりますが、ある時トレーニングして作ったカラダは半年後に成果が現れます。わたくしの大好きな阪神の金本選手など、その典型ではないでしょうか。

受験生も、最後の最後は体力(体調)勝負ですよ。我々、近代に生まれ生きている人間は、どうしても「カラダ⇔アタマ」の二項対立でものごとを考えがちです。「アタマさえきたえれば、カラダなんか、そんなの関係ね~」、でしょうか?だって、アタマはカラダと切り離されて存在しているものではない、アタマもカラダの一部でしょ?カラダをきちんと作ってやらないとアタマだって回転しませんよ。

とはいえ、筋トレしてマッチョになって、みたいな、ビリー先生になる必要はないわけで、ホメオスタシス(恒常性=カラダを一定の安定した状態に保とうとする性質)を保ち続ければ、あとは免疫力がワルどもをやっつけてくれるはずです。難しいことではありませんし、むしろキモチイイと思いますが、いかが?くわしくは去年の記事をご参照くださいませ。


キーワードは、「食事」「睡眠」「アリナミン」といきたいところですが、薬に最初からたよる態度はいけません。「ストレッチ」でした。

 

「食事」「睡眠」「ストレッチ」=3S

は体調管理の基(もとい)なり!!

 

机に一日中かじりついている姿勢をよく見てください。それって「エコノミークラス症候群」で問題になった姿勢とクリソツでは…。まさか死にはしないでしょうが。

受験直前になって体調管理、っていっても、もうカラダがヨワヨワに弱っていたりして。「どろなわ」では間に合いませんよ。で、免疫力が落ちているところで、受験会場で風邪をうつされて帰ってくる、なんてハメになります。

余計なことかもしれませんが、女子高生の方はくれぐれも「生あし」禁止です。わざわざ足腰を冷やして、風邪をひかないわけがない!

と、寒くなってきたら、ハラマキ(スポーツ用のオシャレなやつがあります)して、「ぢさま(ばさま)くさい」といわれようが、腰には必ずホッカイロ。腰をゼッタイ冷やさないようにするのが、冬を乗り切る「ツボ」なのです。

 
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【2007/10/02 16:34】 | 体調管理のツボ | トラックバック(0) | コメント(0)
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プロフィール

谷村 長敬(たにむら ちょうけい)

Author:谷村 長敬(たにむら ちょうけい)
1965年生まれ。立教大学大学院修士課程修了。在学中、赤坂憲雄先生に師事。院生による共著に『「注文の多い料理店」考』。お茶の水ゼミナールで国語全般担当。テキスト(現代文・古文)、小テスト(年間3000点分)の作成にたずさわる。2006年、「ワークショップ フットプリンツ」創業。現代文と小論文を並行して演習する講座をはじめる。趣味はスキー。

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