大学入試の国語・小論文
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現代文・小論文のネタ 其の十
〈いじめ〉
以前、「いじめの問題」を「程度の問題」として述べましたが、そうも言っていられない深刻な状況があるようです。
 
広がるネットいじめ
匿名中傷 悪質化
 ネットによるいじめは匿名だけに、学校は効果的な対応策を見いだせない。
 福島県内の公立中学校の生徒指導の教師は、「メールやネット掲示板は陰口を言う手段の一つになっている。やめさせたくてもだれに指導していいのかわからない」と打ち明ける。
 こうした現状から、「学校裏サイト」を監視して、学校に通報したり、サイトの管理者に削除を依頼したりするIT業者も現れた。今月7日から有料のサービスとして始めたが、すでに教育委員会や私立高などから10件ほどの問い合わせが来ているという。
 群馬大の下田博次教授(情報メディア論)は、「携帯電話を持つ子供の数を考えると、5000件(文科省の調査によるネットによるいじめの件数)は氷山の一角。子供は遊び半分で悪口を書き込んでいる。書かれる側のダメージを理解させる教育を、教師や保護者が早急に行う必要がある」と指摘している。
『読売新聞』 11・16(金) 「解説」
 
なんたる無為無策。受験生に「結論で困ったら、最後は『教育』の問題にもっていけ」などと指導していたものですが…。「教育」でいじめの問題が解決されるなら、とっくに解決しているはずなんですが…。
と、批判ばかりしていてもしょうがないので、今回は「いじめる側」の心の中をのぞいて見ます。
自分の気にくわないヤツをいじめるのでしょうが、そこにはたらいているのは、「アイツは許せない!」といった不寛容だろうと思うのです。そこで問わなければならないのは、許せないのは本当に「アイツ」なのか?という問題です。
古来、日本では、ワラ人形などの「形代(カタシロ)」をかついで村の中をまわり、人々の災いや病気といった穢(けが)れを人形に移す、という習俗が行われてきました。最後に燃やして川に流すことで、共同体の穢れを取り除くのです。現在でも、「祭り」の形で行われている地方があります。有名な青森の「ねぶた」もその流れをくむものと考えられます。
いじめの問題の背後に流れているのは、実は、太古から行われてきた「排除の論理」です。自分(達)に不都合なもの(=穢れ)を他者に移して排除することで我が身を守ろうとする自己防衛反応なのではないでしょうか。
例えば、「自分はバカなのではるまいか?」というコンプレックスを持っている人は、「アイツ、バカじゃねーの」と、他者に「バカ」という不都合な性質を負わせることで、「バカではない自分」を獲得できる。何のことはない、現代文、小論文でよく用いられる単純な二項対立の論理がはたらいているのです。
問題はその後です。排除された側は孤独を味わうことでしょう。では、排除した側は?
「○○が許せない!」「××が許せない!」といった不寛容を延々とくりかえしていくと、最後には許せない自分だけが取り残されてしまいます。実は、許せない対象は自分自身だったのだと、どこかで気がつけばよいのでしょうが…。
ひところ「騒音おばさん」なる人が話題になりました。「隣の○○が許せない!」「世の中が許せない!」で、人を恨み、世の中を恨み、「自分だけは間違っていない」と…、他者排除の最後に待っているのは孤独な風景なのでした。
「うちの子だけは人よりいい大学に…」
「うちの生徒だけはよその高校より進学実績を…」
その一方で、
「いじめはいけません!」って、
大人たちが、いま、子供にしていることは、「他者を排除しろ!でも、他者を排除するなよ!」というダブルスタンダードの押し付けなのかもしれません。それなのに、「教育」で問題解決をはかろうとすること自体がばかげているように思えてならないのです。
 
参考文献
・『異人論序説』 赤坂 憲雄
・『排除の構造』 今村 仁司
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【2007/11/22 06:24】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(0) | コメント(0)
現代文・小論文のネタ 其の九
〈コミュニケーション〉
寺子屋の昔から「読み・書き」というのは重視されてきました、それは現代にも通ずる、どころか、現代にこそ重視される能力なのかもしれません。
 
学習の基本は「手で書く」
 米バンダービルド大学のスティーブ・グレアム教授が今月発表する研究によると、小学校教師の大半が、手書きがスムーズな生徒は文章を書く課題について量も質も優れていると考えており、実際に成績も良い。
 米大学入試委員会は05年から、SAT(大学進学適正試験)に手書きのエッセーを追加した。手書きや作文を重視しなくなったことは、高校やそれ以降の学習全体にマイナスの影響を与えかねないことを懸念しているのだ。(レーナ・ケリー)
『ニューズウィーク 日本版』 11・21
 
ケータイなどのメールで、チャットみたいなコミュニケーションに慣れてしまうと、少し長めの文章で体系づけて自分の意見を述べるということが、ひどく困難になってしまうようです。そのため、「とにかく字数を埋める」ということが自己目的化し、「自分の意見を他者に正確に伝える」という、論述の本来の目的がおろそかになってしまいがちです。その結果、文章はどうなるか?
 
・一文が長くなる、特にも連体修飾が長くなる。その結果、主語と述語が対応しなくなる。
・思いついたことを「とりあえず」書く。いきづまったらまた「それから考えて」書く。その結果、箇条書き的な展開になり、全体として何を言いたいのかわからなくなる。
・とにかく字数を埋めたいので、「Aだし、Bだし、Cだし」と羅列していく。その結果、冗長な展開となり、説得力に欠けた文章になる。
 
といった傾向がみられますね。
例えば、自分の手でラジオを組み立てられる人は、それを分解するのも容易でしょう。同様に、現代文の演習をするなら、自分で意見文を書いたほうがよっぽど早いよ、ということで「現代文/小論文」を並行して演習する講座を始めたのでした。
ただし、「自分の手で」というのがミソなのです。こうして「機械」で文章を書いていると、まるで自分が書いているような錯覚におちいりますが、実は、半分は「機械」が書いてくれていることを肝に銘じておかなくてはなりません。
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【2007/11/16 16:07】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(0) | コメント(0)
現代文・小論文のネタ 其の八
〈コミュニケーション〉
「ケータイによる束縛」って、程度の差はあっても、したり、されたり、誰にも経験があるのでは?案の定(じょう)といったアンケート。
 
若いカップル 携帯に束縛感
   「電話出ないと怒られる」男性45% 内閣府調査
 内閣府は9日、若い恋人同士の間で起きる「デートDV(ドメスティック・バイオレンス)」と呼ばれる暴力に関する初の調査結果を発表した。カップルの間で、通信手段のはずの携帯電話が、相手に干渉したり束縛したりする道具になり、精神的被害を与えているケースもあった。
 携帯電話に関する被害経験を聞いたところ、「電話に出なかったりメールにすぐ返信を出さないと怒られた」は、男性45・3%、女性32・3%だった。「1日に何度も定期的に電話やメールで行動を報告するよう命じられた」も女性10・8%、男性3・9%が該当すると答えた。
 調査はインターネットによるアンケート形式で、16歳から29歳の未婚の男女を対象に今年9月に実施、358人から有効回答を得た。
   「読売新聞」2007・11・10(土) (総合)
 
『和泉式部日記』などの日記文学、『源氏物語』や歌物語など、和歌は詠みかけられたら、必ず返歌を詠み返す、返歌を返さないのはとても失礼なのである、今で言えばケータイのメールに…
などと生徒に和歌の贈答をおしえていたものですが…。案の定、でした。平安時代の男女にアンケートをとっても同様の数字が出たりして、なんて想像をめぐらすと、とても楽しい気分になります。時代が移り変わり、コミュニケーション手段が「和歌→ケータイ」と変わっても、人と人とのコミュニケーションって、何にも変わっていないのだな、とあらためて思うのでした。
ちなみに、「和歌の贈答」であれ、「ケータイメールの贈答」であれ、「贈答」というのはコミュニケーションのいちばん原始的形態です。文化人類学的には、「贈答」というのは「脅迫」という意味も担います。
「お歳暮の菓子折りに小判も入れておきましたので、今度の航空機エンジンについては、ひとつわが社を通して・・・」
と、自衛隊をめぐる贈収賄事件が立件されそうな昨今。「贈答」というのは、人と人、共同体と共同体をつなぐプラスの作用もあれば、人を脅迫するマイナスの作用もあります。
ただより高い物はない。
などとことわざで言われるのは、正確にそこをうがっているのです。
 
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【2007/11/13 13:13】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(0) | コメント(0)
現代文・小論文のネタ 其の七
〈共生〉
「脳は地球上に残された最後の秘境」、なんて言いかたがされたりしますが、今回はTVでもおなじみの茂木先生の言。

脳科学者 茂木健一郎(もぎ けんいちろう) 
(前半略)
 私は植物を育てるのが趣味で、時々鉢植えを買ってくる。大学生の時は、ランを育てることにはまった。胡蝶蘭(こちょうらん)などはずいぶん難しくて苦労した。最近では、もっと手軽に世話のできる鉢植えを買ってくるようにしている。
 もちろん、水をやったりというような世話はするが、できるだけ手間をかけないようにする。そのうち、もともと鉢植えの主役だった植物だけでなく、さまざまな雑草も生えてくる。いつの頃からか、それらの草を敢(あ)えて抜かずに、そのままにしておくようにした。
 すると興味深いことが起こる。どこから種がやってくるのか、次々と草が生える。鉢の中に生物多様性の小宇宙ができる。その様子を眺めているのが、実に楽しいのである。
 異なる種類の植物が、生育するための地面のスペースを求めて競い合い、やがて適当なバランスをもって共生する。そのような有り様を見ているだけで、「生態系」とは何か、素晴らしいレッスンを学ぶことができる。
 自らの思いのままにコントロールするという視点から離れてみて、初めて生態系がもつ本来の豊かさ、複雑さ、奥行きが実感できる。雑草は邪魔だから抜いてしまえという態度では、いつまで経(た)っても生態系の神髄を学ぶことができないのである。
 思うに、近代の人間は自然を制御することにかまけすぎたのであろう。農薬をまき、「害虫」を根絶やしにする。除草剤をまいて、雑草を絶つ。その結果、経済的には有用な効果を得られるかもしれないが、生物と生物が共生するということはどういうことか、その大切な叡智(えいち)が失われてしまった。
 あげくの果てに、人間の内なる「自然」まで制御しようとする。もともと、脳の働きなど思いのままになるものではない。自分や他人の無意識という、本来制御できないものをコントロールしようとするから、どうしても無理が来る。歪(ひず)みが生じる。
 私たちの脳は、有用植物だけが生え、雑草は刈り取られる管理された農園よりも、様々な雑草が繁茂し共生する荒れ地に似ている。脳の本質は内なる多様性であると肝に銘じていないと危ない。思わぬしっぺ返しを受ける。
 受験や仕事など、ある特定の目的のために様々な雑念を抑えつけることは、行きすぎれば脳の健康に悪い。多様な想念が共生してこそ、初めて脳は強靭(きょうじん)になる。創造性も生まれる。
 雑草ガーデニングをやって、多様性のもたらす豊かさを実感してみてはどうか。これからの時代に保護されるべきは外なる自然の多様性だけではない。内なる自然も同じことである。
   『読売 ウィークリー』(2007・9・23)
「脳から始まる」#70

言いえて妙。わたくし、大学受験の現場から去ったのも、受験勉強を指導することに対する、「何かがちがう」という違和感があったからでした。その「何か」がはっきりわからないまま、時を重ねてしまいましたが、その答えは、亀戸の消防団の方たちが教えてくれたのです。
 地位や年収もバラバラ、性格や学歴も人それぞれ、でも、ひとつの目的に対した時に、まるで一個の生命体のような体系(システム)を組み上げていく。以前、『しり上がり通信』の「共同体と組合」で書いたとおりなのです。それをなんと!「その成績じゃ○○大学きびしいよね」とか、偏差値というただのワン オブ ゼムの「モノサシ」で、人と人とを切り分ける作業をしていたのです。なんたる下品!エレガントじゃないんですね。何か、とても歪(いびつ)なものを感じてしまいました。何の事はない、「受験知識」という偏狭な「知」と引き換えに、「知恵」、茂木先生のおっしゃるところの「叡智」を踏みにじるようなイデオロギーの布教に加担していたというわけです。で、

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
宮沢賢治 『春と修羅』 「序」の一説

なんて一節を口ずさまずにおられません。彼はまさしく、トーホグの農民の子弟たちに「叡智」を伝えようとしていたではないか。わたくし、岩手の花巻の高校に通っておりました。彼と同じ山や川を見て育ってきたはずなのです。それなのに、「風景やみんな」を切り分けてきた…。
 だから、古典文法の授業で、やたらに品詞分解をさせるような先生は、かなりきびしく批判してきました。「言葉は分解するものではない、つなぐものであるよ」と。「言葉と言葉をつなぎ、人と人とをつなぐ」、センター試験のテーマ、和歌の贈答というのは、まさしく言葉の本質を正確にうがっていますね。言葉をつなげ、人をつなげ、外なる自然と内なる自然(無意識)をつなぐ。そんな目論見から、わたくしは小論文をなりわいとしたいのです。

佃島 住吉神社大祭 宮神輿

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【2007/11/05 02:22】 | 現代文・小論文のネタ | トラックバック(0) | コメント(0)
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プロフィール

谷村 長敬(たにむら ちょうけい)

Author:谷村 長敬(たにむら ちょうけい)
1965年生まれ。立教大学大学院修士課程修了。在学中、赤坂憲雄先生に師事。院生による共著に『「注文の多い料理店」考』。お茶の水ゼミナールで国語全般担当。テキスト(現代文・古文)、小テスト(年間3000点分)の作成にたずさわる。2006年、「ワークショップ フットプリンツ」創業。現代文と小論文を並行して演習する講座をはじめる。趣味はスキー。

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